On 2月 13, 2024 もう一度、手を繋いで 久しぶりに冬の帰省となった。 札幌の実家に滞在中、1日だけ予定がなく暇だったので、カメラを持って出かけることにした。どこに何を撮りにいこうか、と少し考えてから保育園時代を過ごした場所に向かった。その日は朝から雪が降り止まなくて、上質なダウンの羽のような粉雪が町の音を吸い込んでいた。耳に入るのは、自分が雪を踏み締める音と鼻をすする音だけだったように思う。 大学で東京に出てたが、それまでに札幌市内で4回引越しをした。その中でも、保育園時代を過ごした場所は、断片的ではあるが鮮明な記憶がコントラストの強いフィルム写真のように焼き付いている。20数年ぶりの街並みは、幼少期の記憶とあまり変わりがなく、「この街も変わってしまった」などと肩を落とさずに済んだ。 保育園の頃の一番の思い出は、車に轢かれたことだ。 4歳か5歳だったと思う。ある冬の朝、曽祖父との登園中に車道に飛び出した私は車に轢かれた。車の下に挟まり引きづられたが、幸い雪道だったので怪我らしい怪我はなかった。車が停止するまで記憶がところどころ飛んでいるが、車の腹の真っ黒い蛇のような配管が顔に泥を落としてきて口に入るのが嫌だった。 事故現場は保育園の目の前だったので、園庭にいた先生がすぐに飛び出してきて、泣きながら必死に名前を呼んでくれた。すぐに救急車がきて病院につくと、職場から母が飛んできた。当時の母は新米の看護師で夜勤も多く、私と一緒にいる時間が少なかったので来てくれたことが嬉しかった。怪我といえば、轢かれる直前に滑って転んだことによるタンコブだけというオチで、すぐに家に帰ることができた。その日は母は休みを取ったので、一緒にいられるのが嬉しかった。 昔、よく曽祖父や祖母に連れていってもらった公園 その日を機に曽祖父と保育園に行くことはなくなった。 当時私は、母と祖母と曽祖父と一緒に暮らしていた。母は仕事で忙しく、保育園の送り迎えは祖母か曽祖父の仕事だった。曽祖父は口数は少なかったがいつもニコニコしていた。腰を曲げて杖をつく絵に書いたようなおじいちゃんだった。祖父は私が生まれる前にすでに他界していたので、私にとっての「おじいちゃん」とは曽祖父を指していた。 私はおじいちゃんと保育園に行ったり、迎えに来てもらったり、休日に出かけるのが好きだった。街に出る日におじいちゃんが被っていた羽つき帽子が私にはとてもカッコよくて、よく触っていた。なので、急におじいちゃんと保育園に行けなくなったことに私は文句を言った。後になって母から聞いた話では、事故をきっかけに保育園から「おじいちゃんと登園させないでください」と言われたらしい。そんな事情を知らない当時の私は駄々をこね「おじいちゃんとじゃなきゃ保育園いかない!」と母と祖母を困らせた。 「おいジジイ!」 当時の私は覚えたての悪い言葉を使う魅力に取り憑かれていた。あの事故の日も、おじいちゃんに向かってジジイと叫んだ。「なんだと!」と怒るフリをして杖を振り上げた時、私はおじいちゃんの手を離して道路に飛び出してしまった。おじいちゃんは悪くない。自分が悪い。自分が一番わかっていた。だけど怖くてその経緯を母や祖母にきちんと伝えられなかったように思う。結果、おじいちゃんが悪者になってしまった。私は「おじいちゃんと保育園にいく!」と泣いてわがままを言うことしかできなかった。 「おじいちゃんね、あの後、もうすっごい落ち込んだんだから」 大人になってから母が教えてくれた。確かに、可愛いひ孫(自分で言うのもなんだけど)を自分のせいで事故に合わせてしまったという体験は物凄くこたえただろう。逆の立場だったら「自分が手を離さなければ」と悔やみ続けただろう。小さい手がすり抜けていく最後の瞬間の感触を忘れられないかもしれない。ごめんよ。 おじいちゃんと手を繋いだのは、あの事故の日が最後だった。 小学校に上がると私は母と再婚相手の父と引越してしまい、おじいちゃんは老人ホームに入った。中学に上がる時にまた同居し始めたが、おじいちゃんは足腰が弱っていたので一緒に出かけることはなかった。 私が中学校2年生の冬、おじいちゃんは亡くなった。89歳。知らせを聞いて急いで学校から帰ると親戚が20人くらい集まっていた。おじいちゃんには私の祖母を含む9人の娘がいたので、親戚もかなり多かった。はじめて見る顔も多かったが、向こうは私のことを知っているようで「たーちゃん、もう中学生か」と変わるがわる話しかけてきた。何人かが、おじいちゃんの偉大さを語ってくれたが内容を覚えていない。ただ、亡くなった当日にそんなに大勢の人が駆けつけたおじいちゃんが誇らしかった。 今日、札幌から遠く離れた横浜で、おじいちゃんの命日だということを思い出した。毎年2月13日は、おじいちゃんのを思い出す。マッサージチェア、パイプ、帽子の羽、杖。そして、あの事故のこと。 あの時、「ジジイ」なんて言ってごめん。道路に飛び出してごめん。手を離してごめん。おじいちゃんは全然悪くなかったって言わなくてごめん。おじいちゃんと手を繋いだのはあれが最後になってしまったね。保育園までの道でいつも手をつないでいてくれてありがとう。 また来年。 Essay Fb. Tw. Lnkd. Pin. Tmb. Vk.
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